1996-04-10 第136回国会 衆議院 農林水産委員会 第7号
日本の研究機関というのは、どちらかというと封鎖性、封鎖的である。これからマルチメディアの時代と言われるときに、日本人の体質がどちらかというと封鎖的でありますから、一体、マルチメディア時代にインターネットシステムというのが一番求められているのがこの研究分野ではないのかな、こう思っております。
日本の研究機関というのは、どちらかというと封鎖性、封鎖的である。これからマルチメディアの時代と言われるときに、日本人の体質がどちらかというと封鎖的でありますから、一体、マルチメディア時代にインターネットシステムというのが一番求められているのがこの研究分野ではないのかな、こう思っております。
対外と対内投資が非常に均衡しておるという中で、日本が極端にそういう対外と対内の格差が大きいということは、これはある意味では、先ほど申しましたような自由な世界貿易の中で、日本は何かそういう阻害要因があるのではないか、まさに日本貿易の封鎖性といいますものを象徴しておるのではないかということを、海外諸国はそういう見方をしておるのではないか、このように思う次第でございます。
そのためには、世界に向かって応分の貢献をする、それから日本自体の封鎖性を解除して外国をどんどん受け入れる、つまり発信と受信とをどんどん行うような国家になっていく必要がある、そういうような点が大事な点ではないかと思っております。
日本の場合にはかなり封鎖性というものやあるいは市場流通関係が独特な形を持っておる、こういうものがやっぱり基本的には教育制度というものと関係しているか関係していないか、そういうことは一つの関心のポイントではあろうと思いますが、正式議題として教育問題が登場するとは思いませんが、コーヒーブレークのときとか食事のときにあるいは出てくるかもしれません。
私は、この封鎖性のかなりの部分は、関税障壁というよりも手続や基準・認証の煩雑さや縄張り争いによって、手続や決定の遅延あるいは判断の相違等に基づくものが大部分を占めていると思うのであります。こうした官僚制のセクショナリズムは、米国国民のみならず、日本の我々も全く迷惑をしていることであり、行政改革の中でその改善を求めていくべきものであります。
第三番目は、やはり残念ながら日本における市場の封鎖性というものもなさにしもあらずである。同時に、アメリカ側においては売り込み努力の不足というものも明らかにある。これはこの間テレビで申し上げたとおりでございます。例えば医療器具等において、今まではアメリカから高性能の器具等で高い器具が、一億とか二億というのが参りますが、二つか三つぐらい同じ品物を持ってこいと言う。
○国務大臣(中曽根康弘君) 硬直性や封鎖性、閉鎖性、これらを打破する、そういう意味で使われているのではないかと思います。
我が方で直すべき点というのは、指摘されているのは、やはり市場の封鎖性、あるいはいわゆる不透明性とかという問題でございまして、これは一生懸命各省とも今努力しておるところでございます。これらについても真剣に努力してまいりたいと思っております。
そういうために、今の精神病院の封鎖性の中で、外部からそれらの真相を明るみにするということが非常に困難であったために、全く先生御指摘のように、これらの問題、本来は我々の監査体制の中で指摘していかなければならないのにかかわらず内部告発から出て、我々がその後を追いかけるようなことになってしまった。これは厳しく私ども反省をしなければならないと思います。
国務大臣(渡部恒三君) 違法行為が常識化しておるということになりますと、私はやはり大部分の医師の皆さん方の良識というものを信頼したいし、また、国民の健康を守る立場の厚生大臣として、その第一線で国民の健康を守るお仕事をしておる医師の皆さん方を信頼しないで職務を行うということは極めて困難なので、みんながみんなということには考えられませんけれども、しかし、先生御指摘のように、精神病院というものの特殊性、封鎖性
○中曽根内閣総理大臣 やはり日本がこれだけ経済大国になってまいりますと、日本だけが封鎖性を持って独自の世界を行くというわけにはいかなくなってきておると思うのであります。
この現実は日本の封鎖性というか島国性というものをやはり擁護するようなかっこうになっていっちゃう、これはやっぱり長い目で見て非常にまずいんで、私は四年前から例の国公立大学に外国人を正式に任命するというようなことをやるべきだということを言い続けて、今度は国会を通るようなことになっていくんだろうと思うんで、野党の大部分の方も賛成をしていただけるような案だと思っているんですけれども、これはアメリカの大学の先生
○大来国務大臣 日米経済関係の中で、電電公社の調達、広くは政府の調達問題が従来からも重要な課題になっておりますし、これは同時に日米間だけでございませんで、東京ラウンドの政府調達全体の問題あるいは非関税障壁の問題とも絡んでおるわけでございまして、電電公社が日本の市場の封鎖性を示す一つの典型的ケースととられておるようなところもございまして、この点での交渉にいろいろむずかしい点もあるわけでございますけれども
しかし、随契が場合によってはできるという、それぐらい電気通信事業というのは封鎖性というか、国防的な意味もあるのかどうか知りませんけれども、とにかく一元的な仕組みの中にあるという事実を反論しようとされたけれども、実際はヨーロッパのいいかげんな話を在外公館でまとめてこられただけで、もう少しやはり明確にとらえておく必要があると思う。
大学の封鎖性に横から風穴をあける。学問研究にも国際的競争原理を適用する。これは文部省の所管なんです。外国人を国公立大学に入れるのは。ところが文部省にやらしたって文部省だけでできない、これは外務省なんです。しかも安全保障であり国際化なんですよ。私は、できれば一番先にモスクワをやったらいいと思うんです。
○秦野章君 封鎖性という意味は、主として教授、教官の側にあって、ほとんど大学間の教授の交流といったようなものもないわけですね。ダイレクトに問題を処理するという方法もむろん大事でありますけれども、迂回作戦というか、いろいろな角度から攻めていくべき筋合いのものだろうと私は思うのですけれども、そういう意味では、いわば大学の教授の各大学間の交流というものが非常にありませんね。
しかし戦後、封鎖性免許制の弊害を反省して、いわゆる一般大学になっておるけれども、名前はやはり教育大学とつけて、教員の養成の歴史と伝統を持っている地域、大塚にあることによって伝統は生きておった。広島高等師範も広島の長い伝統の地域の中で総合大学へ持っていったところに、あそこの伝統は生きている。今度はもう場所を野っ原に持っていく。一番中核である国立大学の教育学部というものは各府県にありますね。
そういうことも考えながら、学校制度としては、目的大学についてはいろいろ論議もあるし、またいろいろと吟味をしなければならぬので、教員養成目的大学というものは、免許制の封鎖性、その他の問題もあるから、速急に結論を出すべきものではないと思いますが、あの伝統を生かす場合には、自発的に教壇に立って教育に生きがいを感ずるという卒業生が出るような大学であれば望ましいと私は思うのです。
それの第一の候補者が実はECでありまして、しかもECは、現在域内では固定相場制をとっているという、非常に安定した方向をねらっているわけでありますから、決して——わが国がECの封鎖性を心配するよりは、わが国が今後開放体制に移ることによって、対日通商交渉はいま一本でやっておるわけでありますから、そういう意味で、日本がどの程度まで、ECという、いわば地域ないしはブロックというところに資本輸出ができるか、ないしはわが
○中曽根国務大臣 具体的にどうこうということはありませんが、ECのほうでも為替変動率の縮小、それから通貨の統一ということを目ざして非常に努力をしておるようですが、われわれが一番関心を持っているのは、外部に対するその封鎖性ですね。それが強く出てくるというと、日本としても貿易上非常な支障を来たす危険性もあります。その点は、アメリカとも利害が一致している点でもあります。
また一面、象牙の塔的旧態依然たる封鎖性をも色濃く持って、社会の要請にも十分応ずることができなくなってまいりました。ある大学では、収容定員以下の講座は七十八講座のうち三講座、教養課程などでは一人の先生が三千人の学生を持っている講座もあるようになりました。
そういうことをしないでいびつな形にしておるから、封建性と封鎖性があって、こんなコレラ菌やチフス菌のような、そういう反社会的な事実があってもやみからやみへ葬る。みんなお互いに何らか問題を持っているということになって、それで事実が明らかにされない。科学の殿堂であるところにおいて非科学的なそういう封建性がばっこしている。ボスの支配が行なわれている。そういうところに問題があるのではないのか。
たまたま今までは自由化等もそう伸展もいたしておりませんために、一種の封鎖市場というようなことでございましたために、規模の過小な方々も何とかやっていくということもできたわけでございますが、だんだんその市場が封鎖性から解放されるというような格好にならざるを得ないということになって参りますと、やはり自分自身だけで適正規模に達し得ない方々は、何らかの格好で組合を作るなり、共同出資をするなりして会社を作るなり